長男が療育へ通い始めたのは2歳になる少し前。
当時の私は、療育に通えば困り事はなくなるものだと思っていた。
みんなと同じようにできるようになるための場所。
苦手なことを訓練して克服する場所。
そんなイメージだった。
でも実際に通ってみると、思っていたものとは全然違った。
療育は子どもを「普通」にする場所ではなかった。
その子の特性を理解して、本人が生きやすくなる方法を探す場所だった。
そして親が子どもとの向き合い方を学ぶ場所でもあった。
気付けば、変わったのは子どもだけじゃなかった。
むしろ私の方が大きく変わった気がしている。
今日は、療育児三兄弟を育てる中で、私がやめたことを書いてみようと思う。
無理やり参加させることをやめた
長男は昔から切り替えが苦手だった。
集団活動が始まっても一人だけ動けない。
みんなが次の行動へ移っているのに、その場に残っている。
そんな姿を見るたびに、
「早く行こう」
「みんな待ってるよ」
と急かしていた。
時には手を引っ張って参加させようとしたこともある。
でも療育に通う中で、それは長男にとってものすごく負担だったことを知った。
長男はやりたくないわけじゃない。
切り替えられないだけだった。
気持ちの準備に時間が必要だった。
それが分かってからは、無理やり参加させることをやめた。
前もって予定を伝える。
見通しが持てるようにする。
そして、待つ。
昔は待っている間も声をかけ続けていた。
「そろそろ行こう」
「みんな始まってるよ」
「早くしないと終わっちゃうよ」
でも今は、それもしなくなった。
自分で切り替える力を身につけてほしいと思ったからだ。
周りから見たら、ただぼーっとしているように見えるかもしれない。
親が放置しているように見えるかもしれない。
でも私は待ちながら考えている。
今、長男は何を考えているんだろう。
何が引っかかっているんだろう。
どんな葛藤をしているんだろう。
長男なりに頭の中で整理している時間なんだと思う。
時間はかかる。
でも、自分で気持ちを整理して動き出せた経験は、長男自身の力になっていると思っている。
先回りして助けることをやめた
長男が小学校へ入学した頃。
私はとにかく心配だった。
忘れ物をしないように。
宿題を忘れないように。
困らないように。
失敗しないように。
できることは全部手伝っていた。
でも途中で気付いた。
私が助ければ助けるほど、自分でやらなくなる。
忘れ物をして困る。
準備不足で失敗する。
怒られる。
そんな経験も必要なんだと思うようになった。
だから少しずつ手を離した。
もちろん全部放置したわけではない。
でも、自分でできることは自分でやってもらうようにした。
失敗しながら覚えればいい。
支援級なら先生も理解してくれる。
そう思えるようになった。
結果として、長男は少しずつ自分で管理できることが増えていった。
ペースはゆっくりだけど、確実に成長している。
次男も同じだった。
やりたいことや楽しいことを優先して、後回しにして怒られることは今でもある。
でも、自分で失敗した経験があるからこそ、少しずつ学んでいる。
親が全部やってあげることが優しさではないと知った。
行動を抑制することをやめた
療育へ通う前の私は、とにかく止めていた。
走る。
登る。
触る。
ふざける。
危なそうなことをしたら先回りして止めていた。
でも今は考え方が変わった。
もちろん危険なことは止める。
誰かに迷惑がかかることも止める。
でも、それ以外はできるだけ自由にさせている。
失敗も経験のうちだと思うから。
やってみて、
転ぶ。
困る。
怒られる。
失敗する。
その中で学べることもたくさんある。
親が先回りして全部止めてしまったら、その経験すらできない。
三兄弟を見ていてもそう思う。
何度言葉で説明するより、一度経験した方が理解することも多い。
もちろんハラハラする。
「やめておけばいいのに」と思うこともある。
それでも、自分で考えて学ぶ機会はできるだけ奪いたくないと思っている。
「普通」を目指すことをやめた
これは一番大きいかもしれない。
療育へ通う前の私は、
「みんなと同じようにできるようになること」
がゴールだと思っていた。
でも違った。
長男は今でも切り替えが苦手だ。
次男は今でも感情が先に出ることがある。
三男は今でもじっとしていられない。
療育へ通ったからといって、特性が消えるわけではない。
でも困り事との付き合い方は上手になった。
長男は自分の苦手なことを理解して、自分なりに調整できるようになってきた。
次男は感情のままに爆発することが減った。
三男も少しずつ自分をコントロールする力を育てている途中だ。
「普通になること」ではなく、
「自分らしく生きやすくなること」
の方が大事なんだと考えるようになった。
完璧な母親をやめた
療育とは直接関係ないかもしれない。
でも確実に影響はあったと思う。
以前の私は、
19時までにご飯を作らなければいけない。
家はきれいにしておかなければいけない。
子どものことも家事も仕事も全部ちゃんとやらなければいけない。
そんなふうに思っていた。
でも現実は無理だった。
三人の子どもを育てながら、仕事もしながら、全部完璧になんてできない。
だから諦めた。
ご飯が遅くなる日もある。
部屋が散らかっている日もある。
お腹が空いたなら少しおやつを食べて待っていてもらえばいい。
今日は疲れたから最低限だけやろう。
そう考えられるようになった。
頑張らないことを覚えたとも言えるかもしれない。
療育で一番変わったのは私だった
療育へ通う前。
私は療育が子どもを変える場所だと思っていた。
でも今振り返ると、一番変わったのは私だった気がする。
子どもの特性を理解すること。
できることとできないことを受け入れること。
無理に周りへ合わせようとしないこと。
失敗する機会を奪わないこと。
完璧を求めないこと。
そういう考え方を私は療育から学んだ。
もちろん困り事がなくなったわけではない。
三兄弟それぞれ今も困ることはある。
大変な日もたくさんある。
それでも昔よりずっと生きやすくなった。
療育は子どもを矯正する場所ではない。
親も子どもも、自分たちを理解して、生きづらさを減らしていくための場所だと私は思っている。
そしてその考え方は、きっと子どもたちが大人になったあとも役に立つはずだ。